初霜と、初めて食べたパロンブと
11月19日、南西フランスにも初霜が降りた。
イタリア北部に住む友だちもこの日が初霜と言っていたから、ヨーロッパのこの辺りでは最初のcold waveだった模様。
気温もぐっと下がって、いよいよ本当に冬本番という感じ。
11月に入っても、それまではまだ暖炉に火を入れるのは午後に気温が下がってきてからだったけど、いまではこれが朝いちばんの仕事になっている。
冬だ。

フランス語では、耳が痛くなるような寒さは、
ça piqueとかça cailleとかと言うのだけど、最近はこれを連発している。
そんな初霜の日、お義父さんが友だちにもらったからと、お昼にPalombeを料理してくれた。
誰かがランチを作ってくれるなんて、こんなありがたいことはない。
Palombeが何か分からなかったけど、二つ返事でランチの招待を受けた。
スターターをいただいて、メインで出てきたパロンブがこれ。

私は一瞬ギクッ。
ちょっとこういう、鳥の形が分かるやつは苦手なのだ。
原型が分からない肉だけ食べたいなんて甘ったれているけど、仕方ない。慣れてないんだもの。
話を聞くと、パロンブとは鳩の一種らしい。
鳩かよー。知っていたら遠慮できたのに。
ここにきて食べたくないとは言えず、恐る恐るナイフを入れる。引き締まった肉。
小さい鳥で、どこからどう食べたらいいのかよく分からない。
味は、よく分からなかった。ナイフとフォークではうまく食べれず、結局足を持って骨の周りを貪るように食べないといけなかったのだが、食べるところが少なくてなんだかよく分からなかった。
内心ビクビクしながら頑張って貪ったのに、肉が少ないって報われない思いだった。
つけあわせのサツマイモのピュレは最高に美味しかったのだけど。
パロンブは、この辺、ガスコーニュの地域では昔はよく食べられていたらしい。
あともう一種類、もっと小さな鳥で、みんな手づかみで骨をしゃぶるように食べていた鳥がいたらしいのだけど、それを食べる文化ももう見られないらしい(私は内心とてもほっとした)。
あっという間に季節は進んで
フランスでは一昨日、全国的に強風が吹き荒れた。
この辺りも、朝は雨を伴う強風、昼からは青空が見えたりするものの風の強さは弱まらず。春一番だけではなくて、季節の変わり目って風が吹くような気がするのだけど気のせいだろうか。
・
ヨーロッパは今日から冬時間に切り替わった。
デジタル時計の時間が切り替わる瞬間を見てみたいのだけど、夜中の3時はちょっときつい。
そんな私のために、前回はパートナーが頑張って起きていてくれたが、スマホの録画をオンにして見ていた先の時計は、なんと自動で切り替わらないやつだった。翌日その話を聞いて、アホな姿を想像して爆笑した。

日本は9月も暑かったと聞いたけど、フランスは9月に入ると肌寒く、掛布団も厚いのに変えた。そこから、それでも22~25℃の穏やかな気温の日が続いていた。
街の木々が紅葉し始めたのが10月あたま。

それからぐっと季節が進んで、この週末はしっかり寒くなった。
そして我が家では冬時間に替わる日、今年初めて暖炉に火をつけた。

冬に向かうのってなんだか心寂しくてこの時期ってあまり好きではないけど、移り変わる季節を何度も愛する人と過ごせるのっていいななんて、謎にセンチメンタルになったりしている。
圧巻のロカマドゥール
6月に行った、最も美しい村のひとつ、サンシルラポピ―。
最終目的地は、その先にあるロカマドゥールだった。
そのロカマドゥール、結論から言うと、大感動だった。
断崖絶壁に築かれた村、
中世の趣を残す、
昔からの巡礼地、
って、旅行ガイドに載っている通りなのだけど、あの絵は写真で見るのと自分の目で経験するのとでは全く違う。
知らない土地なのでGoogle mapを頼りに目指すわけだが、山道をどんどん進んだあとに突如現れるあの景色!私は思わず声をあげてしまった。いっきにテンションがあがり、興奮はマックス。
このあと村に入って行くわけだけど、一番感動したのは、車で進んだ先に出現したこの景色だった。

中世の趣を残すというのは、この1本の通り(中世の路とでも呼んでおこうか)。私たちは、この村の中ではなく、その上の上の、シャトーがある通りにホテルを取っていた。というか、行ってみて初めて、村がそういう作りになっていることを知った。
中世の路がロカマドゥールのメイン観光地であるわけで、そこから見上げる教会はこれまた美しくて圧巻だけれど、通り自体はかなり観光地化されていて、お土産屋とレストランが並んでいた。

中世の路を最後まで歩くと、教会に続く階段がある。
文字通り、崖の中腹に造られた教会。どうやって建てたん・・・。日本人だからか、地震が来たらどうするのか、なんて要らないことを考えてしまったりもする。
この日はたまたまPentecôteというキリスト教の祝日のイベントがあり、教会ではミサが行われていて、タイミングよく私たちも参加できた。巡礼中と思われる人たちもけっこういたけど、この日に合わせてロカマドゥールに来たのだろうか?
キリスト教でもないくせに、教会の音楽と歌ははなぜか心に響くんだよな。

ちなみに、シャトーがある通りは道路も歩道も整備されていて車も通りやすく、モダンなバーやレストランがある。教会へも中世の路へも階段を使えば(上りはちょっと疲れるけど)近いし、車道をぐるっと周って歩いてもすぐ。ロカマドゥールは小さな村だから、中世の路にあるホテルにこだわる必要はない。
私は、少し離れた場所からこの断崖絶壁にある美しい村を見るのが好きだった。

だから一番いいのは、崖の反対側、真向いの山に滞在してそこからロカマドゥールを眺めることだと思う。またこの美しい村を訪れることがあったら、そのときは絶対に山を歩ける靴を持っていこうと思う。
久しぶりの日本
あれこれと、日記として残したいと思う出来事や思考・感情はあるのに、いっこうにリアルタイムで書き残せない。書くことが嫌いなわけではないのだけど。物書きにはなれないなーとつくづく思う。
この間、ちらっと日本に帰国していた。
パートナーは来ず、ひとりでの帰国だったこともあってか、あまりテンションが上がらない今回の帰国。テンション低いまま飛行機に乗り、14時間かけて東京に到着。そのまま新幹線に乗って田舎へ直行という長旅。
ものすごく疲れたのは歳だからだろうか。
田舎では、疲れで免疫力が落ちていたのか、熱を出して寝込むという事件を起こした。せっかくの帰国なのに・・・。両親も苦笑い。
日本ではまたコロナが流行ったりしていて、久しぶりにコロナ検査をした。インフルエンザも同時に調べられるやつ。1回の検査薬で4,000円近くもする。高ッ。
コロナでもインフルでもなかったのは不幸中の幸いだけど、貴重な日本での時間を無駄にしてしまったのは悔やまれる。
2年ぶりとなる今回の帰国では、心に残ったことが二つあった。
一つ目は、田舎の緑の深さに圧倒されたこと。
というのも、フランスは乾いた夏で庭の草はからっから。緑というよりベージュ、ゴールドという色。それに対し田舎は、もうすんごい緑。深緑。力強く生命力あふれる緑に感動してしまった。そうか、ウチの田舎こうだった!フランスに戻って数週間経つけど、あの大胆な緑を思い出しては小さな感動を味わっている。
二つ目は、東京のものの多さに吐きそうになったこと。
私、東京は好きだった。いまも嫌いになったわけじゃない。なんだけど今回はどういうわけか、言葉通り物であふれかえっているこの街に目が回ってしまった。
だってさ、ひとつのエリアに何件もコンビニがあり、薬局があり、商店があり、それぞれ同じものを売っている。こんなに必要ある?!?!
新橋とかは見渡す限りの居酒屋、飲食店。ものすごい。
フランス田舎暮らしがデフォルトになりかけているなか、久しぶりの大都会に行ってギャップに驚いたってことなんだと思う。
これだけ大きくなってもまだ、再開発とか言ってあちこちの駅が変わっていく。あの頃は東京で人生を謳歌していた私だけど、もうついていけなくなってしまっている。
フランスの田舎に戻ってホッとしている自分がいた。
小銭乞いの青年にマックをおごる
私が住む超地方の街でも、パン屋やスーパーの前でよく「小銭をちょうだい」と声をかけてくる人がいる。声を掛けてこなくても、地面に座って、紙コップやら小さなトレイやらを前に置いていれば、すぐに物乞いの人だなと分かる。
物乞いという言葉は、フランスではなんだかしっくりこないんだけど、、、。
路上に住んでいるわけではなく、何かしら住む場所はあるんではないかと思うから、ホームレスというのも違う。
ぴったりな言葉がないのでひとまず物乞いの人という風に言っておこうか。
昨日、こんなことがあった。
仕事でいつもより朝が早かったこともあってか、私の頭はとっても疲れていた。なんだか、脳に霧がかかったような、重いような、頭が回らず思考が遅い。
ちょっと出かけるかと、近くのスーパーに買い物に出た。
スーパーを出たとき、背が高くすらっとした黒人男性の姿が目に入った。買い物バッグを肩にかけてさっさと通り過ぎると、後ろから「Execusez-moi, madame!」と繰り返し叫ぶ声が聞こえた。あぁ、あの黒人の人が小銭物乞いをしているのかなぁと、見ないまでも想像できた。何度もexecusez-moiを繰り返している。
あれ、もしかして私?
と思ったけれど、かなり疲れていたので、スミマセンと思いつつ気づかないふりをして車に向かった。
するとなんと、その青年が車まで追いかけてきた。
こんなことは初めてだったけど、脳が疲れていると反応も鈍るらしく、びっくりもせずぼうーっと青年に対面。
「そこのマクドナルドで食べたいのでヘルプしてくれませんか」と言う青年。ジャージにスニーカー、リュックという姿。
その彼に対し私は、なぜか、「一緒に行こうか?」と言っていた。
てくてく歩きだすと、「えーっと、僕1ユーロ持ってるんだけど・・・」と言う青年。そこで、あ、そっか、小銭あげればいいのかと思い、財布にあった2ユーロを取り出す私。同時になぜか、「これじゃあ足りないよね?」と質問。「足りません」という青年。また二人でマックに向かう。私がカードで払う気だと分かったのだろう、「この1ユーロもらってください」と言うのをお断りして、すぐそこのマックに向かう。
フランスのマックは、入ったところにある大型タッチパネルで注文をする。
「何が食べたいの?」と私。
「えーっと、僕いつも5ユーロのセット食べるんです」と青年。彼がタッチパネルで操作。
私はカードでピッと支払いをして、「良い一日を」と言って立ち去った。「ありがとうございます」と繰り返す青年の声が背後に聞こえる。
マックを出ながら、何やってんだ私と思いつつも、誰かを少し助けられたんだからいいか~と、ビーサンをひきずって車に向かった。
でも同時に、マックを出た瞬間、「車あるよね?」と一瞬だけ不安がよぎった。複数人のチームでの犯罪ってよく聞くから、それを思い出したのだ。
車の中では、一緒にマックに行っておごるなんて私なにやってんだろうな、手元にあるだけの2ユーロを渡すので十分だったはずでしょ、話しかけられたときもっとなんか違う返しあったでしょう、それにしても車まで追いかけてくるなんてすごいな、なんて、回らない頭で考えた。
帰ってこの出来事を話すと、オットにも気を付けないとダメだよと何度も言われた。優しそうな(気の緩んでいそうな)アジア人女性はターゲットになりやすいだろうから、と。ここは日本じゃないんだよ、と。
その通りだ・・・。途上国に10年住んでいた私だが、ヨーロッパに住むのは初めて。フランスもパリではなく田舎町ということで、完全に無防備の生活だ。携帯も財布も、丸見えの状態でポケットに入れてることもよくある。
気をつけよう、と反省する一方、物乞いの人への接し方をどうしようか、その方が私の中で大きな問題。こういうのは、その場でとっさに判断できなかったりするので、自分のポリシーを持っておくのが正解だと思っている。
これまでの私のポリシーは、小銭があれば最大2ユーロまであげる。ジャンキーっぽかったり近づきにくい人は避ける。パン屋やスーパーの前に座っている人にはパンやお菓子をあげる。というものだった。
今回のように車まで来て面と向かって頼まれるケースがもし今後またあった場合は、小銭があればそれを渡すようにしようかな。一緒に行ったりはしないで(苦笑)。
それかそもそももう、お金はあげないポリシーにしてしまおうか。
フランスという国での立ち振る舞いに悩むのは、フランス社会の構造や文化、現実をまだよく理解していないからなんだろうなとも思う。
猛暑の南西フランス
南西フランスは今年2度目の熱波が来ている。
最初のは6月の末。
7月は涼しく、朝晩は肌寒いほどだった。
タンクトップやショーパンが登場することがあまりなく、このまま夏が終わってしまったらどうしようと少し心配していたほど。
が、その心配は無用だったらしく、先週からまた暑い。
35℃越えの日が続いていて、高齢のお義父さん、お義母さんは辛そう。私が住むオーシュでは驚きの41℃まで気温上昇。こんなのは今までなかったらしい。
多くのフランスの家がそうであるように、ウチにもエアコンがない。さすがにここまで暑くなると、木に囲まれた田舎の家でもつらい。
朝晩の涼しい時間に窓をあけて冷たい空気を入れ、日中は締め切る。日が入るのを防ぐため木製のフランス窓も閉めるので、日中は家の中は暗い。
外に出ると太陽が痛い。でもまぁ、どうなんだろう、湿気のある日本の夏よりはましなのかな・・・。ベトベトしないし。
記録的な暑さとなったこの週末、フランスに住む友人が遊びにいてくれた。日本語で話ができたのはもちろん嬉しかったし、英語もできるのでオットともよく話してくれてありがたかった。私たちより7つも若いこの夫婦、夫さんが日系企業の駐在でフランスに来ている。まったく違う理由でフランスに来ている彼らの話はとても面白ろくて、驚きもあれば、刺激にもなる。
せっかく訪ねてきてくれた週末が記録的な暑さのときで、行ってもいいなぁ、やってもいいなぁと思っていた場所や事柄はいろいろあったけど、暑さに疲れてしまって実行できないことが多くて申し訳なかった。
そんな南西フランスだが、来週は10℃も気温が下がるという予報。ホントかしら。
家族の有事には日本に飛んでいきたくなる
海外に住んでいて一番こわいのが、家族の不幸や病気や事故。
私もいい歳なので、そういう連絡が10年前より明らかに多くある。
2年前は祖母二人が亡くなった。
去年は母が自律神経失調症になって心身の調子が優れない日々があった。
この春先は父が事故に巻き込まれた。完全なもらい事故で、車は廃車、打撲でしばらく胸が痛んだらしい。
そして今回、母が熱中症で入院した。
うちの家族は、家族の有事をすぐに連絡してくれない。
さすがに祖母が亡くなったときはその日に電話をくれたけど、それ以外はいつも事後報告。事が済んで大丈夫になってから教えてくれる。それも、向こうからそのことについて連絡をくれるわけではなく、こちらが電話したときに、そういえばこんなことがあった、と、何かの話のついでのように話すのだ。
困る。
非常に困る。
今回の母の入院もびっくりしてしまい、できるものならすぐにでも飛んで帰って、しばらく日本にいたい。
ほんと頭に来るけれど、そういう親なのだ。余計な心配をかけたくないから、って。
家族なんだから余計な心配も余計でない心配もかけあって当然でしょうと思うのだけど、何度言ってもダメ。
今度帰国したときは再度、面と向かって抗議してこようと思う。